大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和44年(ワ)11182号 判決

原告 小谷野滋

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 秋山彰三

被告 株式会社寿産業

右代表者代表取締役 伊藤利作

右訴訟代理人弁護士 紺野稔

右訴訟復代理人弁護士 御園賢治

主文

被告は、原告小谷野滋に対し金七万三、六〇〇円及びこれに対する昭和四四年六月五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告宮原善孝に対し金五万六、〇〇〇円及びこれに対する昭和四四年六月五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は四分し、その一を原告等の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

被告は原告小谷野滋に対し金一四万二、〇〇〇円及びこれに対する昭和四四年六月五日より完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告宮原善孝に対し金一二万円及びこれに対する昭和四四年六月五日より完済に至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言。

二  被告

原告等の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  被告は仙台市鉄砲町一二二番一においてダイヤモンドホテルを経営している。

原告両名は、昭和四四年五月八日夜、前記ダイヤモンドホテル三階二号室に宿泊した。

(二)  原告等は、同日夜同部屋の入口に内錠を掛け戸締まりを確認のうえ、入口近くの備付洋服ダンスにそれぞれ背広を納め就寝した。

(三)  同日夜、被告会社は社員内海秀一(フロント)同日野哲夫(調理士)及び学生アルバイト(臨時雇人)紺野一夫、同萩野芳雄の四名を宿直させたが、右四名は翌日の午前〇時よりホテル事務所にて麻雀を始めた。午前二時一五分頃近所のスナック店主人が来てゲームに加わったので、日野哲夫は右同人と交替して、他の四名でゲームは進められた。そこで日野哲夫は右四名が麻雀に熱中している間に、密かに自己の所持していたマスターキーを使用し、右交替時から翌九日午前七時頃までの間に原告等の宿泊した部屋に入り、原告小谷野滋の背広上衣、内ポケット財布から現金九万二、〇〇〇円を、原告宮原善孝の背広、内ポケットの財布から現金七万円を、それぞれ抜取り、よって原告等に各自同額の損害を与えた。

(四)  原告等が宿泊した前記三階二号室は二方が壁で道路に面した一方は三階の窓である。従って内錠をかけた入口以外には外部から侵入するところはなく、又入口のドアを開けるにはマスターキーを使用しなければならない。被告ホテルのマスターキーは三個あり、すべてホテル事務所で管理保管すべきであるところ、当時一個だけ事務所で保管するのみで他の二個については所在が不明であった。ところがその内一個は本事件が発生し警察が調査したところ、同ホテルの調理場の引出しから発見され、他の一個については同じく警察が訴外日野の自宅を捜査した際に、同人の上衣ポケットから発見されたものである。訴外日野がマスターキーを所持していたこと等から考えて、本件の盗難は右訴外日野の行為によるものであるということができる。被告は右訴外日野の使用者であるから、右訴外人の本件不法行為による原告等の損害につき、使用者として賠償すべき責任がある。

(五)  仮りに右訴外日野の行為でないとしても、当日宿直した他の被告会社従業員の単独又は他の者との共同においてなした行為である。

(六)  仮りにそうでないとしても、被告はホテルの経営者として宿泊客が安全に宿泊しうるような物的、人的設備をする義務があるのにこれを怠ったため本件盗難事故を発生せしめた。すなわち被告はホテルの客室の施錠設備にマスターキーを使用していたが、かかる場合ホテル経営者としてはこれを事務所に保管して担当者以外の従業員やその他の第三者による悪用の機会を与えないようその保管や使用を厳重に規制する義務があることはもちろん、マスターキーが事務所の管理範囲から離脱し所在不明となった場合には、マスターキーの複製その他によって悪用がなされないように客室の鍵を取り替え事情によっては宿直員を増員して当該客室の見張りを厳重にするなど盗難防止のために適切な処置をとるべき注意義務があるものというべきである。しかるに、右盗難事故の生じた時は、前記のとおり、マスターキーは事務所に一個しか保管されていなかったし、施錠設備の取替えもせず、厳重な宿直の実施もさせず、宿泊客が安全に宿泊しうるに足る適切な人的、物的設備を欠いたままの状態にしていたため、何人かにマスターキーを悪用され、そのため本件盗難事故を生ぜしめ原告らに損害を与えた。これは、少くとも被告会社の右人的、物的設備の補完を怠った過失による不法行為に基因するものであるから、被告は損害賠償の責任がある。

(七)  仮りにそうでないとしても、誰かがマスターキーを使用して客室の入口ドアーを開け前記金員を窃取したものであるが、前記五月八日夜の被告会社の従業員等は、前記のとおりマスターキーを厳重に保管せず、麻雀に熱中して宿直の任務を怠り、ホテルの全入口に錠をかけたといいながら近所のスナック店主人を麻雀に参加させるため裏の出入口を開けていたりして、宿泊施設の安全を図るべき注意義務の履行を怠り、そのため何人かにマスターキー使用による本件窃盗をなす機会を与えたものである。従って被告会社は使用者として民法七一五条一項による損害賠償の責任を免れない。

(八)  原告等は、本件盗難により翌日五月九日は一日中警察の調査取調べのため日時を空費し、不愉快な思いをし、所持金皆無となったため、知人より金員を一時借用して、出張の用件も果さず帰京せざるを得なかった。よって原告等の精神的苦痛の慰藉料として各金五万円が相当である。

(九)  そこで原告小谷野滋は金一四万二、〇〇〇円を、原告宮原善孝は金一二万円をそれぞれ損害金として支払うよう、昭和四四年六月四日被告到達の内容証明郵便により請求した。

(十)  よって被告に対し、原告小谷野滋は金一四万二、〇〇〇円、原告宮原善孝は金一二万円及び右それぞれに対し、昭和四四年六月五日より完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  答弁

(一)  請求原因(一)は認める。

(二)  同(二)は知らない。

(三)  同(三)の内、訴外日野が他の四名が麻雀に熱中している間に、マスターキーを使用して原告等の部屋に入り金員を財布から抜き取ったということは否認し、その他は認める。

(四)  同(四)の内、三階二号室は二方が壁で道路に面する一方は三階の窓であり、内錠をかけた入口以外には外部から侵入するところはなく、又マスターキーを使用しなければ入口は開かないということは認め、その他は否認する。マスターキーは三個の内二個は事務所に保管され、他の一個がなかった。もっとも本事件発生の約一年半位前に三個あるべきマスターキーが二個しかなく、直ちに調査したところ客室係が事務所に一時返却するのを忘れ台所の引出しに入れていたことが分りこの件の所在不明は一時間位のものであった。本事件当日はたしかにマスターキーは二個しかなく他の一個は原告主張の如く訴外日野の自宅で発見されたものである。しかしこれは訴外日野が客室係手伝の際、上衣のポケットに入れたまま事務所に返すのを忘れ帰宅したものである。

(五)  同(五)は否認する。

(六)  同(六)、(七)は否認する。被告はホテルの全入口に錠をかけたなどといったことはない。例えば機械室前の入口、非常口等は錠は掛けていない。

原告らは、被告の不法行為による責任を主張するけれども、旅客の宿泊中の金銭の滅失については商法第五九五条が適用されるものであるから、場屋営業者たる被告にこれと別個に不法行為による責任を負わせることは許されない。かりに不法行為責任があるとしても、原告主張の所持金額、被告従業員の行為であること、マスターキー使用による窃取の事実などについて、何一つ確証がないから、被告に不法行為上の責任はない。

第三証拠≪省略≫

理由

一  被告が仙台市鉄砲町一二二番地一においてダイヤモンドホテル(以下本件ホテルという)を経営し、原告両名が昭和四四年五月八日夜同ホテルに宿泊したことは当事者間に争いがない。

二  次に≪証拠省略≫によると、次のことが認められる。

すなわち、原告等は一週間の予定で東北地方に社用で出張中、同月八日午後五時頃本件ホテルに到着し、原告小谷野がフロントでレジスターカードに必要事項を記入した上、原告等は三階二号室に案内され、そこでボーイより入口ドアーの鍵を受け取り、部屋に荷物を置いて食事のため外出し、食事後一、二軒のバーで飲酒し、本件ホテルに帰宿したのは午後一〇時であった。原告宮原は外出中駅前のみやげ店で両替した際二つ折財布中に現金があることを確認した。ホテルに帰った原告等はすぐに部屋の入口ドアーの錠を掛け、洋服を備付けの洋服ダンスに納め、交替で入浴した。原告小谷野は入浴前、日常習性として整髪用の櫛をはさんでいた二つ折財布を背広上着から取出す際に、財布の中に現金があることを確認した。その後テレビを見たりして就寝したのは午後一一時頃であった。就寝前に原告宮原は、原告小谷野の注意もあったので再び入口ドアーの錠や窓の錠を点検し、施錠を確認したのち就寝した。ところが翌五月九日朝七時頃原告小谷野が起床して整髪用の櫛を取出すため洋服ダンス内の洋服の内ポケットに入れてあった二つ折財布を取り出したところ、在中の現金全部がなくなっていることを発見した。そして原告宮原も調べたところ、同じく自己の背広上衣内ポケットに入れてあった二つ折財布から在中の現金全部がなくなっていた。そこで原告等は本件ホテルのフロントに直ちに盗難の届出をした。

また≪証拠省略≫によると、同月八日夜本件ホテルの二階一〇号室に宿泊した訴外早野三郎も就寝中財布から現金全部がなくなっているのを翌九日朝発見したことが認められる。以上の各認定を動かすに足る証拠はない。

以上の諸事実によると、原告等の金員滅失は、五月八日午後一二時頃から翌九日午前七時頃までの時間帯において何者かによって財布から抜き取られたものと認められる。

三  そこで、いかなる方法で、また何者によって原告等が金員を窃取されたかについて検討する。

(一)  まず、本件ホテルの三階二号室の位置、構造や窃盗事故発見後の現場の状況について調べてみると、≪証拠省略≫を総合すると、本件ホテルは三階建(屋上四階)で、洋室六、和室一〇あり、一階は客室二個、二階は客室七個、三階は客室七個であり、二階、三階へ行くにはフロントを通らなければならないこと、三階二号室は二方が壁、道路に面する一方は三階の窓で隣室からの侵入は足場がなく極めて困難であり、内錠を掛けた入口以外に外から侵入するところはなく、入口はプッシュ式ロックドアーになっていてプッシュ操作をしてドアーをしめると、外側からはマスターキーでなければ開けられないこと、五月九日朝九時頃警察官による実況見分においては入口のドアーがこじあけられた形跡や何らかの傷跡はなかったこと、三階二号室の洋服ダンスは廊下入口に近いところに位置し、洋服ダンスのうち廊下入口近くに洋服掛があり、これはベッドの位置から死角となっていることが認められる。

(二)  次にマスターキーの保管状況を調べると、≪証拠省略≫によると、被告会社は本件ホテルの客室全部に共通するマスターキーを備付けているが、昭和四二年八月頃開店した当時マスターキーは四個あったけれども、その直後間もなく内一個が炊事場で紛失したままになっていたこと、フロント係りの内海秀一はその三個を事務所で保管し客室の保全に当っていたが本件盗難事故のあった五月八日以前にその日時は不明であるが、内一個が紛失し、それは長期間にわたって所在不明の状態のままであり、フロント係は別段気にとめなかったこと、右事故のあった日から二週間位たって、本件盗難とは無関係の他の被疑事件で本件ホテルの従業員調理士訴外日野哲夫に対する止宿先の家宅捜索によって、この紛失中の一個のマスターキーが発見されるに至ったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)  右五月八日の本件ホテル従業員の宿直状態について検討する。

≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

昭和四四年五月八日午後一二時頃からフロント係内海秀一、調理士日野哲夫、学生アルバイト紺野、萩野の四名がホテル事務所で麻雀をはじめた。

ところが翌八日午前二時一五分頃近所のスナック店主が外部から通ずるホテル炊事場のドアーを自由に開けて同ホテルに遊びに来て麻雀に加わったので、日野は同人と交替し事務所から離れたところにある休憩室に休みに行くといって事務所を出た。しかし他の従業員は、同日午前六時頃まで麻雀に熱中していたので、同人の交替後の行動については何もしらなかった。翌日原告等の盗難届けによって警察官の調べがあったが、マスターキー一個が所在不明であり、その後二週間たった頃前記のとおり、日野に対する家宅捜索によってその一個が発見されたことが認められる。

≪証拠判断省略≫

以上の事実から、原告等の盗難事故は、本件ホテルの内部事情に通ずる者がマスターキー又はその複製品を使用することによって実行したものであると推認することができ、これをくつがえすに足りる証拠はない。

四  以上認定の諸事実から、本件の犯行は日野が紛失中のマスターキーを用いてしたものではないかとの嫌疑が生ずることを否定しがたく、これを払拭することはできないと考える。

しかし、≪証拠省略≫によると、五月九日午前九時頃本件ホテルから通報を受けた警察官が捜査を開始し、引続き日野を容疑者として取調べたが、右事実以外に確たる証拠がないとして結局起訴されるにいたらなかったことが認められる。また≪証拠省略≫によると、本件ホテル宿泊客の就寝中の盗難事故は、日野が被告に雇用された昭和四三年一二月以前の同年一一月頃に二回発生したことがあり、また日野が被告会社を退職した後の昭和四五年四月、五月に各一回起ったことが認められる。≪証拠判断省略≫

これらの事実から考えると、日野以外の者による窃盗の疑が皆無であるといいうる程に、日野が五月八日夜から九日朝にかけて原告等の金員を窃取したと断定することは、本件の証拠では十分とはいえないのであって、日野が窃取したことを前提として被告に対し民法七一五条の責任ありとする原告等の主張は採用しがたい。

五  また日野以外の被告会社の従業員が単独又は共同して、もしくは他の第三者と共謀して窃取したという原告の主張も、これを認めるに足る証拠はない。

六  しかし、前にも触れたように、以上認定した諸事実によると、右窃盗の犯行者を特定することはできないが、少くともその嫌疑ありとされる日野を含めて本件ホテルの内部事情に通ずる不特定多数者のうちの誰かが、五月八日当時紛失中のマスターキーそのものまたはその複製されたかもしれないマスターキーのうちいずれかを使用して、三階二号室の入口ドアーから室内に侵入したことによる窃盗であることを確認しうるのであって、これをくつがえすに足りる証拠はない。

七  次に、原告等は、被告会社又はその従業員の過失に基づく不法行為による被告会社の責任の成立を主張するので、この点について判断する。

≪証拠省略≫によると、被告は昭和四二年八月頃本件ホテルを開店し、支配人を選任してマスターキーの管理使用を含む一切の事務を、同支配人にまかせていたこと、開店後間もない頃マスターキー四個のうちの一個が炊事場において紛失したが、被告会社ではこれを承知しながら、完全に滅失したものと判断して(完全滅失を認めるに足る証拠はない。)、マスターキー全部の取替えをしなかったこと(なお客室用のものを取替える費用として四〇万円は必要であること)、昭和四三年一一月頃客室の盗難事故があった後にもなお同様の態度を変えないで三個のマスターキーをもって客室の保安に任ぜしめたことが認められる。

他方≪証拠省略≫によると、本件ホテルのフロント係内海秀一は昭和四二年一二月マスターキー三個を事務所で保管していたが、前認定のように完全な管理がなされたわけでなく、とくに昭和四四年五月八日以前かなり長期間にわたって内一個が事務所の管理から継続的に離脱していたのに、フロント係は別段気にとめなかった位であり、五月九日九時頃警察官が来るまでそのことに気がつかなかったことを認めることができる。≪証拠判断省略≫また前に認定したように、五月八日夜の宿直勤務の状態は、マスターキー三個中の一個が長期間事務所の管理下から離脱していることによる盗難事故の発生を未然に防止することを配慮した態勢にあるものとは、到底認められないしまた前認定のとおり、当日夜ホテルの玄関は施錠されたけれども、炊事場のドアーは施錠されないままであった。

ところで、前記認定のようなプッシュ式ロックドアーによって内部から戸締をし、ホテルの保管するマスターキーによるのでなければ外部からは通常開けられないような施錠設備をして客室の安全を保障し、これを宿泊客に提供している場合には、ホテル経営者としてはマスターキーの保管や使用について善良なる管理者の注意をもってするのでなければ、旅客は室内の財産の保全について安心することができないのであって、もしマスターキーの保管が不完全であればその施錠方式によって室内の安全が保たれるという旅客の信頼を裏切ることは甚だしいものというべきである。そして萬一マスターキーの保管に欠陥を生じた場合には、補完されるまでマスターキーの悪用による盗難等を防止するため応急の人的、物的措置を講じたり、旅客に対し通常の場合と異なる特別な注意を喚起する措置をとるべき当然の義務があるものというべきである。

そして以上認定の諸事実の下においては、被告の従業員等は業務の執行にあたって右の注意義務の履行を怠ったものというべきであり、その結果日野を含む内部事情の知悉者の何人かをしてマスターキー又はその複製品のいずれかの使用によって客室侵入の行為を容易ならしめ、よって原告等の金員を窃取するにいたらしめたものと認めることができる(不可抗力を認めるに足る証拠はない)。

してみると、被告は、その従業員の業務執行中における過失に基づく不法行為について使用者としての責任を負うべきものというべく、従業員に対する選任監督についての無過失を立証するに足る証拠はない。

なお、被告は商法五九五条の存在を根拠としてホテル営業者の民法七一五条による責任を追求しえないと主張するけれども、その見解は採用することができない。

八  次に原告等の財産上の損害の有無について判断する。≪証拠省略≫によると、原告等は出張旅費として各自金一〇万円宛訴外昭和冶金工業株式会社より仮払いをうけ、その他自己の金員を合せ各自金二〇万円位をもって出張したが、事件当時社長の原告小谷野は金九万二、〇〇〇円、取締役の原告宮原は金七万円を所持していたものであって、本件盗難事故により各自右同額の損害をこうむったものと認めることができ、この認定を動かすに足りる証拠はない。しかし、前記認定のとおり原告等は本件ホテルに到着したときレジスターカードに必要事項を記入し、宿泊したものであるが、≪証拠省略≫によると、そのレジスターカードには「貴重品は預けてください」との注意書の記載があり、またフロントの壁にはその旨の掲示がしてあったものと認められ、これをくつがえすに足りる証拠はない。

もっとも、原告等が外出先から再びホテルに帰り、フロントで鍵を受取るとき、フロントの者が、通常の場合と異る事態にあることを意識して、貴重品を預けるよう、特に注意したと認めるに足る証拠はない。しかしそのような特別な注意がなかったとしても、フロントの壁の掲示やレジスターカードにはその旨の記載がなされていて原告等に示されたのであり(もとより、そのことによって被告が責任を免れるものではない。)、また≪証拠省略≫によると、原告等は通常ホテルに宿泊するときは殆んど貴重品は預けていたことが認められるのであって、原告等が本件ホテルの場合貴重品を預けなかったことについて、過失がないとはいえない。そこで原告等が前記金員の滅失によって蒙った損害の賠償額については原告等の過失を考慮し過失相殺によりその相当額を決めるのが適当である。そして前記認定の損害額について判断すると、前記認定の被告の過失の態様に照らして、原告小谷野については金七万三、六〇〇円、原告宮原については金五万六、〇〇〇円をもって、原告等に賠償すべき相当損害であるということができる。

九  次に原告等主張の慰藉料について判断する。

原告等が本件盗難事故により不愉快な思いをしたことは推察するに難くないが、一般に財産権を侵害する不法行為の場合に相手方に精神上の打撃を加えることを目的とし、ことさらに当該不法行為がなされたとか、その物の被害者にとって特別の価値を有するものであるとかの特別な事情のない限り、被害者が既に財産上の損害を完全に回復しえた場合には、もはや被害者の側に加害者に対して慰藉料の支払を命じてまでも回復せしめなければならないほどの精神上の損害ないし苦痛はなくなっているものと解するのが相当である。従って、他に特段の事情のない本件においては原告等の慰藉料の請求は理由がない。

一〇  よって、原告等の請求の内、原告小谷野については金七万三、六〇〇円、原告宮原については金五万六〇〇〇円及び右それぞれに対する、本件不法行為発生の後である昭和四四年六月五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分については理由があるからこれを認容し、その余の分については棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、それぞれ適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 緒方節郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例